西養寺
山門
西養寺は土肥一族がきづいた城の一つで、郷柿沢城と呼ばれていた。
その名残として、今も寺の周りにほりがある。
今も残る「ほり」
敵の侵入を防ぐため、寺の周りには、幅2mから7mのほりがめぐらされていたらしい。今でも残っているほりには、水が満々としている。
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